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学習会『今、なぜ「坂の上の雲」か(上)―日清戦争までを中心に』の要約

2010年2月14日 みやざき9条の会 | 活動報告 | コメント(0) | トラックバック(0)

2010年1月25日(月) 18:30~20:00 宮崎中央法律事務所3階にて行われた、 瀬口黎生さんによる学習会『今、なぜ「坂の上の雲」か(上)―日清戦争までを中心に』の要約を瀬口さんよりいただきましたので掲載します。


今、なぜ「坂の上の雲」か(上) -日清戦争までを中心に-

1. はじめに


昨年の暮れ、NHKは司馬遼太郎の上記の作品を全5回、計7時間半の大型ドラマとして放映しました。この小説は70年安保の時代の約4年にわたって産経新聞の夕刊に連載され、その後単行本や文庫本にもなって、大ベストセラーとなり広くサラリーマンを中心に読まれた「歴史物語」で、2000万部にも及ぶ発行部数です。

2. どんな読み物か


幕末のわが国はアジアの他の国と同様植民地化の危機にありました。明治維新によってともかくも乗り切ります。この明治の開化期から日露戦争までを、坂の上の雲を目指して駆け上がって行くものとして捉え、伊予松山出身の秋山好古、真之という帝国陸海軍の主要な役割を果たした軍人と、正岡子規という現代俳句や短歌の改革をした三人の人物に託したエピソードでつないで「明るい明治」として描いたものです。

坂の上の雲

司馬は第二次大戦末期に繰り上げ卒業して、満州北部の戦車部隊に学徒出陣し、敗戦間際に本土決戦のため栃木に配属されます。ここでの体験を後にエッセイで、九十九里浜に米軍が上陸しそこに出撃する時、避難民とぶつかるがどう行動するのかが問題になり、踏み潰して行けとの命令に、「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に生まれたのだろう?いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?」との疑問を持ち、「昔の日本人はもっとましだったに違いない」と思い小説を書くようになったと述懐しています。明治の日露戦争までの日本はまともだった。それ以後軍部によって駄目になる。これが「坂の上の雲」の背骨をなす思想です。つまり「明るい明治」と「暗い昭和」という捉え方です。単純化するとこれが司馬史観といわれるものですが、実証性を主張するにもかかわらず、資料の誤読、資料批判の不徹底、創作の割り込みや誇張など、歴史家の間では史観と呼ぶには値しないと考えられています。

戦後、司馬は新聞記者として出発しますが、1961年から作家生活にはいります。彼の書く歴史物は歴史を今の時点から俯瞰して、一つの物語として見ながら、エピソードとして綴って行くという特徴があります。その語り口の巧みさから広く読まれました。国民作家と呼ばれる所以です。しかし本質は一般受けのするジャーナリストだと私は考えています。

司馬遼太郎の作品は右にも左にも受け入れられやすさを持っており、それゆえ危ういと小森陽一さんは指摘しています。

3. ドラマ化はどう企画されどう作られているか


司馬は生前ミリタリズムに流れることを危惧して、この作品の映像化を断ってきました。しかし、死後もドラマ化の策動は続きました。そして数年前から周到に計画され、3年がかりの大型ドラマとして作られることになりました。NHKはその制作意図を書物が読まれなくなっているし、暗い時代なので若者に元気を出して欲しくて作ったと語っているそうです。本当にそんなことでしようか。

ドラマ化にあたって、大勢の脚本家がかかわり原作にかなりの手が加わっています。しかし本質は変わっていません。司馬史観の持つ根本的な弱点は何ら克服されてはいませんでした。それは明治の初め、江華島事件を起こした時から日本の朝鮮や中国に対する侵略的な介入について、ほとんど触れないか歪められているからです。

坂の上の雲

江華島事件では黒船が品川沖にきて開国を強要し、やがて不平等条約を日本に押しつけたのと同じことを、同じ手口で朝鮮にします。日清戦争は朝鮮支配をめぐる清国と日本の覇権の争奪です。当時朝鮮は鎖国と開国の間で揺れていました。そのきっかけとなったのが、東学農民蜂起です。政府の悪政と搾取に苦しんだ全羅道の貧農が、1894(明治27)年2月に立ち上がり、人権の回復、両班や官吏の悪政をただし、封建的搾取を制限して、反日を要求します。4ヵ月の戦いに敗れた政府軍は妥協をはかると同時に、清に武力介入を要請しました。清は牙山に軍隊を送りますが、すぐ日本も対抗して仁川に兵を送りソウルに進駐しました。

7月25日に東郷の日本艦隊は仁川沖で清国の増援軍を輸送していたイギリスの輸送船を撃沈します。実際の宣戦布告は8月1日です。しかし、実質的な戦争は7月23日、日本軍が朝鮮王宮を占領して武装解除を行い国王に清国軍の撤退を強要した時に始まっていました。11月には旅順まで攻め込んでいます。日清の介入を危惧して、いったん手を引いた東学農民軍が再び「反日」を掲げて蜂起をおこし、多数の虐殺事件に見舞われます。

戦後、朝鮮政府の実権を握ってロシアへの接近をはかった閔妃を、王宮に侵入して殺害した「閔妃暗殺」事件や下関条約などを含めて全体を把握することが大切と思われますが、司馬もNHKのドラマも素通りしています。

ドラマでは東郷の仁川沖の「豊島沖海戦」のみを取り上げ、引き返しを要求して拒否され撃沈したが、国際法上問題のなかったことを強調して正当化しています。その他の侵略的行為の歴史的事実は司馬作品にもドラマからも消されてしまっているのです。

「王宮占拠」についての正式の『日清公刊戦史』も「王宮を囲みし際の情況報告の件」という外交文書も偽りであることが、1994年福島県立図書館所蔵の「佐藤文庫」文書で判明しました。驚くべきことです。

4. おわりに


おそらくこの企画が具体化した時の政治状況と現在は異なっています。憲法を変えるには2つの関門を越えなければならないことは誰でも承知しています。5月には国民投票法が発効します。

青空と雲

国民の政治意識にそれとなく働きかけて操作するには、歴史意識の変更を企てるのが有効と心得ているに違いありません。「坂の上の雲」のドラマ化は絶好のものだったでしょう。これからも、2年間は年末に全国で見られることになります。先日亡くなった九条の会の代表世話人であった加藤周一さんは「司馬遼太郎の史観は天才主義である。天才たちは政治的支配層の力関係の中で動き、......民衆が演じた役割と、経済的な要因がもったであろう意味は、ほとんど描かれず、分析されない。......それ故に変革期を扱いながら、かえって現状肯定派を大量に生みだす皮肉な結果を生んでいる」と述べています。このことは自由主義史観研究会の藤岡信勝らの「新しい歴史教科書を作る会」が司馬史観の信奉者であることからも了解されます。

私たちはこれらのソフトパワーの仕掛けを見抜いて、きっちりと対峙しなければなりません。今年末のNHKドラマ放送の後、再度論評したいと思います。


関連するサイト

『坂の上の雲』放送を考える全国ネットワーク
今なぜ『坂の上の雲』かNHKスペシャルドラマについて考える

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